クリスマスシーズン・フィンランドは寒いが暖かい

今日の我が家

2016.12.9 晴れ/最低気温-11度・最高気温/-6度/日の出1023分・日没1356分/積雪25cm
今年は例年に比べて雪も多く寒さも厳しい感じがする。
一昨日は日中でもマイナス25度まで下がった。今日は暖かくなってマイナス10度、毎朝薪小屋から暖炉の薪を運ぶのが私の日課なのだが、マイナス10度を境に手袋なしでは手が痛い。デジタルカメラは十分充電されているのに「充電されていない」と表示が出てすぐに使えなくなるほどだ。
写真は9時過ぎの撮影なのだが、日の出が10時半ごろだから夜明け前、太陽が出ていない朝夕の時間帯はこのように青色の写真になる。そしてオレンジ色の灯やロウソクはなんとも暖かい感じがする。だからか、民家は蛍光灯よりオレンジ色の電球が多く使われている。

フィンランドで暮らすようになって、わかったことがある。
それは『暖かい』ということがとても『幸せ』ということだ。
今年は9月下旬から暖炉を焚き始めた。マイナス10度ぐらいの気温の日なら夕食時から4時間くらい焚くとレンガに熱が保温されて、翌日の夕食の頃まで室温が20度以上に保たれる。真冬はいつもマイナス15度くらい、ときにはマイナス30度以下になることもある。マイナス15度以下の日が続くと昼食時前後に2時間ほど焚く。
薪の燃えるオレンジ色の炎と暖かさは、エアコンやヒーターとはちがう暖かさを感じさせてくれる。田舎では雪のない時期の薪づくりは生活の一部であり男の仕事、この薪が酷寒の冬を快適にしてくれる。そして、「あったかいねぇ」と言う妻の言葉は、夫として誇らしくなる。食べ物は質素であろうが贅沢であろうが食べさえすればお腹はいっぱいになるが、暖かさは快適な温度になるまでの熱=エネルギーが必要で、『暖かさ』の源の炎は何ものにも代えられないものだ。
寒さが本格的になる12月は、みんな楽しそうな気分が国中にあふれるクリスマス、日本にいる頃はわざわざクリスマスソングを聞くことはなかったが、こちらへ来てからは今のシーズンの私のBGMはもっぱらクリスマスソング、暖かくて、優しい気持ちになれる、としても幸せなことだ。

もうひとつフィンランドでわかったことがある。
それは『人の暖かさ』がなんとも気持ち良く、幸せな気持ちにしてくれることだ。
日本では故郷と言っても、ただ母と叔母が暮らす自分が生まれた地以上の感慨を持ったことはない。友達や知り合いはたくさんいるのだが、事業に失敗して地元を離れなければない状況に追い込まれた私にとっては、傷に塩を刷り込むような冷たい場所、蔑まれる地に過ぎないという印象である。
ところが、ここは人生をかけて探し回ってやっとたどり着いた『故郷』のようなのだ。リレーのように小さなキッカケが人との出会いをつくり、それがまた次の人にバトンタッチされてと、そうしてこんな小さな村だからか、私たちはやっと生まれ故郷に戻れた者のように皆に知られ見守られている。
私たちには、村の道を走っていると必ず手を挙げてあいさつしてくれる人たちや子供たちがいるがいる(私たちは彼らのことを知らないのだが)。村のスーパーでは“Hei!”とか”Terve!”と会う人全員が声をかけてくれる。時には天気の話や世間話を私たちが理解できているかどうかにかかわらず、話をしてくれる(彼らのことも私たちは知らない人なのだが)。時々、きっと前世では幼友達だったのではと感じてしまう友達がいる。ほとんどが久しぶりに会うので手を握り合って「Mitä kuuluu?(元気だったか?)」と話が始まる(半分ぐらいしかわからないが、残りはテレパシーで理解する)。
また、彼女たちこそが前世では私たちの姉たちだったと確信する4人の女性がいる。彼女らの夫さんたちは妻の弟夫婦のように私たち見守っている。久しぶりに会うと彼女たちは必ずハグしてくれる。生まれて初めてフィンランドへ来て体験するハグは、今でもテレてしまうのだが。とても暖かくて大きくて、そして幸せな気持ちになる。
私たちの参加している年金受給者協会Kuivaniemi Eläkeliittoは、1年生から6年生までが集まった同窓会のようなもの。私は67歳、妻は64歳なのだが60代は1割ぐらいでほとんどが70歳以上、最高齢は93歳ぐらい。私たちが困っていると、そばにいる誰かがサッと手を差し伸べてくれる人たちがたくさんいる、まさに故郷の同窓会。
昨日はその Eläkeliittoでクリスマス会があった。今年最後の会合ということもあって70人くらいが出席、牛乳で焚いたおかゆのようなスープとコーヒーとお菓子で談笑。そして地元の教会の神父さんの先導で皆でクリスマスソングを歌う。クリスマスが大好きのフィンランド人、みんなウキウキと楽しく、優しい人々に囲まれた暖かさ、姉たちにハグしてもらい、まだまだフィンランド語には不自由な私たちだが、とても暖かい至福の時間を過ごした。

フィンランドの夏はさわやかで気持ち良いが短い。9月下旬頃から翌年5月初旬までは暖炉の厄介になる。真冬はマイナス15度から20度くらい、何度もマイナス30度近くの温度になる厳しい気候の地だ。そして暖かさの源の薪は森から倒木を背負って運び出して斧で割る重労働なのだが、フィンランドの暮らしを辛いと思ったことは一度もない。何でもない風に踊る白樺の葉の音や空の青さの美しさに、「ここは天国のようだ」と思い、フィンランドの人たちと会った帰り道の妻との会話はいつも「みんなにあんなに暖かくしてもらって、私たちは幸せ者だね・・・」と実感する。
日本では静岡県生まれ、最後の地が徳島と温かい気候のところしか知らない私たちだが、日本は寒い国だと思う。日本ではいろいろな町に住んだが、ここのような人の暖かさを感じたことは一度もなかった。また、正論をいう私たちは煙たがれたり、いい年をしているのに大人になれない青い奴と親は思い、友達には陰口を言われていたと思う。
しかし、ここでは私たちは受け入れられている。私たちは大勢の人たちにやさしさに見守られている。姉のようなアンニさん、メエリさん、セイヤさん、テルットさんたちからは「お帰り、よく帰って来たね。長い旅だったから母国語のフィンランド語を忘れちゃって、だから私たちが見ててやらないとね・・・」という心の波動をいつも感じている。ここは私たちが探し続けた故郷であり、天国だ。

もしあなたが、日本で辛い思いをしていたら、そこは母国でもなく、故郷でもないかもしれませんね。
私たちの魂は輪廻転生の旅を繰り返していろいろな所に生まれ、いろいろな体験をして、何が自分の求めるているものか、何が幸せなことかを思い知ろうとしているのかもしれません。
今生の人生の旅の目的地は私たちのように別のところにあるかもしれません。本当の自分の心がささやく小さな声に耳を傾け始めると、人生は今までに想像もできなかったステキな目的地に導いてくれますよ。それがフィンランドだったら、私たちはきっと会えますね。そのとき私は、あなたを弟と感じるのでしょうか、息子や娘と感じるのでしょうか・・・
フィンランドに来てから、未来に何が起こるかわからなくても、楽しみに待つことができるようになりました。心が平和で未来を安心できる場所は故郷なのですね。
良いクリスマスを、世界に安らぎを。Kei

世代から世代へ循環の中でみんな何かを学んで育ってきた

今日のフィンランド2016.11.28
快晴・最低気温-15度/最高気温-3度・積雪15cm・日の出/9:53日没/14:20
昨晩は久々の快晴、月が出ていないので空を埋めつくすたくさんの星が見えて、いつもある当たり前の夜空なのに、しばらく見とれてしまった。南東の低い空にオリオン座を見つけた。七年前のちょうど今頃は、日本で北東の空に見えるこのオリオン座を見ていたことを思い出す。日本の反対側で暮らしていることを実感する。日本の誰かがこの星を見つめていたら、同じ星を反対側の者同士が一緒に見ているかもしれないと想像したら”We are not alone!”、温かい気持ちになる。天気予報では今夜から雪、明日は妻と除雪。今年は冬が早く、雪も多そうだ。

Ii Kuivaniemi ―ここで私たちは暮らす
Kuivaniemiは人口2000人足らず小さな村だ。北極圏まで100キロ余りのフィンランド北部に位置する。南部のヘルシンキと比べると気温は4~6度ほど低い。フィンランドはほぼ日本と同じ面積だが人口は約五百万人、日本の二十分の一、しかも地方の村だから人口密度は2人/㎢。
私たちの家は、お隣が50メートル先に一軒、次のお隣は1.5キロメートル先に一軒と、白樺や松などの森に囲まれている。2ヘクタールの敷地は冬の暖をとる薪をまかない、夏は一年中食べるベリー(15キロ以上)を収穫させてくれる。

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我が家の庭でくつろぐトナカイ

しばしば、リスやウサギやキツネなどの森の動物とニアミス、数十頭のトナカイは「私たちの土地でもあるのよ」と言わんばかりに庭の芝生の草を食べに来て、しばらくくつろいでいく。そんな時は、私たちは彼らが去るまで外の用事を中断して、邪魔しないように静かに家のなから見ている。たくさんの鳥もやって来る。フィンランドは野鳥用のエサがどこでも売られていて、家々でエサを吊るしておく。我が家もペットのエサを与えるように、屋根付き餌場を備え付けてそこにエサを毎日補充する。日本から連れてきた犬が昨年死んでしまった時、妻が「鳥になって戻っておいで・・・」と亡骸に話しかけて埋葬したせいか、エサがなくなると窓辺にとまってエサがなくなったことを知らせる。
 フィンランドでは人々も動物たちも仲良しだ。村の中心への道は、やたらトナカイの群れと遭遇する。車が来たからといってあわわてて逃げ去るのではなく、しばらく見つめ合って、それからゆっくり道を横断して森の中に入っていく。その間車は止まって待っているのが当たり前の光景だ。スーパに着くと、見知らぬ人も目があえば”Hei!”とか”Terve!”(Hello!の意)と声を交わす。こうした環境が、気持ち良い子供たちを育てている。そして彼らが優しい大人になる。この雰囲気はフィンランドの原初の風景(環境)、私たちが探し続けた世界だ・・・〈この話はまた後日に続けることにする〉

2日後に妻の歯の治療日を控えた今日、歯科医師からメールが届いて、通訳を手配しので来月15日に治療は延期すると連絡があった。フィンランドでは誰もが母国語で診察・治療を受ける権利があり、この村では外人は私たちだけ、当然その恩恵を受けているのも私たちだけ、この地に住まわせてもらっているだけで十分すぎる幸せを感じているのに、ただただ恐縮する。
年金受給者協会Kuivaniemi Eläkeliittöの会長さんからもメールがあって、行事を知らせてきてくれた。「たぶん、私たちの方言交じりの早口のフィンランド語をほとんど理解できていないだろうに、参加してくれていることを嬉しく思っているというなことも書かれていた。寒い冬が始まっているのに、暖炉の暖かさに人の暖かさが加わって、とても心地よい。



世代から世代へ循環の中でみんな何かを学んで育ってきた
『文化』とは、
一つの物語を演じている人間の集まりだという。それは聞く必要もなければ、わざわざ口に出して子供たちに教える必要もない。いつでもどこでも背景に流れているハミングやBGMみたいなものだから、あえて注意を払わなくても自然に基本的なことは6~7歳のころまでは取得してしまう母国語のようなものだ。
フィンランドでは、子供たちは国の財産のように平等に扱われている。子供の6割は普通高校へ進学する(その半数程度が4年制大学へ、残りの半数は職業訓練を行うポリテクニックへ進学する)。3割の子供たちは職業訓練校に進学する。残り1割の子供たちは、今もしっかり残っている徒弟制度に吸収されて手に職をつける。こうした教育に対する費用は一切無料、また学生のための安いアパートや生活費などが毎月支給されているので、大ざっぱに言えば、親は子供を育て教育する費用の負担はほとんどない。
フィンランドの子供たちは自分の能力に応じて職業を選ぶのではなく、自分のしたい仕事のために技術を磨く風土である。また、職業による収入格差は累進課税の制度や低所得者に対する国の補助施策により、格差はことのほか少ない。だから、どんな職業であろうが、どんなところに、どのような家に暮らそうが、それは人それぞれの好みの違いとして、差別や上から目線というような風土(文化)はない、独立100年の若い国だが、世代から世代へと同じ地に暮らす仲間意識や皆で幸福な国を作ろという同胞意識は、世代から世代へと受け継がれ(=フィンランド文化)、あらゆる社会システムがすべての人に優しい平等な国となった・・・
今70歳過ぎの多くの人たちは――独立間もない国の上に第二次大戦の敗戦国として厳しい経済の時代は、スウェーデン出稼ぎに行かなければならなかったそうだ。彼らの世代が前述の年金受給者協会Kuivaniemi Eläkeliittöの主要なメンバーで、彼らの苦労は、彼らの奥の深い優しさと人間的に尊敬できる人格をつくった。それは、私たち外国人ですら『見守られている」という安心感を感じさせてくれる。彼らの子供世代の人たちもたくさん知っているがステキな人たちだ。そして子供たちも・・・と、文化や教育は世代から世代へと受け継がれる。
日本ではユースホステルを経営していたのでいろいろな世代を見てきた。総称して、日本の子供たちは可愛くない!(まれに子供らしい気持ちの良い子にも出会うが)。若い子たちは怖さを感じる。働き盛りの大人たちは社畜という言葉に象徴される雰囲気を・・・そして、私たち老年組は、金や地位の力を盾に現役にしがみついているか、面倒を見てもらうために子供に媚びているか、どちらにしても哀れな存在という印象を私は持ってしまう。私たちの国の文化は確実に世代から世代へと受け渡されている。こうした風土をすべての世代が容認してしまう・容認せざるを得ない文化であるとも思わざるを得ない。
最近大河ドラマの『真田丸』を見続けているが、真田幸村は魅力的な人物だが、命がけで尊敬できる人物とは言い難い秀吉や豊臣家に忠義を尽くし、300年の徳川時代を作った創始者の家康のような姑息な駆け引きの信頼できない人が支配者になる、近年では『お国のため』にすべてが従った風潮で、いつも犠牲になるのは一般庶民、ところが一致団結しなければならない犠牲者の一般庶民たちは『生きんが為に』抜け駆けと裏切り、これが母国語・日本語のように知らぬまに『国とはこんなもの、だからうまくやらなければ~』と意識のベースに刷り込まれてしまったことは、歴史も物語っている。
若い頃、『かもめのジョナサン』の作者リチャード・バックの『one』という本に、とてもひどい町があって、人々が出て行ってしまって廃墟の町になった。廃墟になった後にまた人々が戻ってきて今までとは違う新しい幸せな町を作った・・・という話があったような気がする。母国を本当に大切だと思うから、文化に染まりすぎて洗脳される前に、意欲が萎えてしまう前に、子供たちや若い人たちにはフィンランドのような別の世界を体験させてやりたいと思う。そして、それを応援できるのは現役を引退した私たちが世代が、悪循環を断ち、それぞれが小さな力でよいから未来のために供出することかもしれない・・・と思うのである。


国が荒れているウクライナのタレントが歌った”What a wondeful world”
♪木々は緑に、赤いバラは私やあなたのために花を咲かせ・・・空は青く、雪は白く、何と素晴らしい世界でしょう
♪空にはとてもきれいな虹がかかり、人々は通り過ぎながら、「はじめまして」と言ったり、友達が握手しているのも見かけます。
♪彼らは心から「愛している」と言い、私たちは赤ん坊の泣き声を聞いたり、成長していくのを見ています。
♪彼らは私たちよりもはるかに多くの学び、知っていくでしょう。そして私は心の中で思っています。「何と素晴らしい世界」、
♪そう、私は心の中で願っています。「何と素晴らしい世界」でしょう・・・
Kei