共感You’ll never walk alone!

※注意
『日本を良い国だと思っている人』、『日本という国に誇りを持っている人』は読まないでください。
人それぞれに視点や考え方あるので、その考え方を批判しあうことは、お互い気分が悪くなるだけのことですから。

プロローグ
「日本ってこんなにひどいんだよ!  公的教育費はデーターのある32か国中平均以下で6年連続の最下位の32位、開発途上国を含めると101位なんだって~ そのうえ奨学金制度は国家の体のいい金貸し商売、若者をローン地獄に突き落としブラックバイトやブラック企業に加担しているようなものなのよ・・・」
ホームページと自身のブログ「女たちのフィンランド」の作り替えでデーターを集めていた妻が、今にも泣きそうに涙をあふれさせて私に教えに来た。
(『editor』 http://editor.fem.jp/blog/?p=1347 『editor』 http://editor.fem.jp/blog/?p=535
『久米忠史の奨学金ブログ』http://www.shogakukin.jp/88blogg/date/2012/12/  を、ぜひ参照を)
今の私たち夫婦には学校に行っている子供や大学生はいない・・・6人の子供たちは日本で皆なんとか社会人として自立している。だから、他人事・対岸の火事ということでもあるのだが・・・日本の自分たちの子供の世代や孫の世代に自分のことのように涙を流して思いをはせる妻が誇らしく思えて、ブログを書くことから2年以上遠ざかっていたのだが、私も何か伝えなくては・・・とブログを復活させた。

そもそも私たち自身が、前述の日本の教育システムだけでなく、政治・経済などのあらゆる社会システムや国民性やその風土にホトホト失望して、「せめて人生の最終章は世界一幸せな国・フィンランドの美しい景色と幸せの匂いのする空気を吸いながら終わりたい。」「そして、私たちと共感する人たちや子供や孫の世代の『希望』の橋頭堡になれれば・・・」と、60歳を過ぎた=たぶん日本でいうところの『人並み』以下の部類の私たち夫婦は、何の縁故もないフィンランド移住に挑戦した。
EUは難民の受け入れには人道的立場から寛容だが、結婚や留学、転勤や特殊能力による招致でもない限り、「ただフィンランドが好きだから、高福祉の国だから暮らしたい」では在留許可はまず下りない。だから、私たちの在留許可取得は『奇跡』だったと思っている。といっても、最初の4年間は毎年『在留許可』を更新し続けなければならなかった。毎年申請書を提出して、しかもその決定に異議は申し立てないことをサインして、数か月後の通知を待つ。通知があって、新しい在留許可カードを受け取るまで成否はわからない。もし『否』となった場合、私たちには日本へ戻っても帰るの家はないから、この年齢で向こう見ずでたいへんな挑戦をしたものだとの思いが取得の時期にはいつもよぎる。そして、もう1年この国で暮らせるんだと受け入れてくれているフィンランドに感謝の念を新たにする。昨年の更新で4年間の在留許可が下りて、2019年の更新では『永住許可』を申請できるようになった。今はKelaカード(健康保険証)や選挙権も与えられ、高福祉国家の恩恵にあずかって、何か事あるごとに、フィンランドという国に感謝の念が湧いてくる。

フィンランドで暮らしてわかる私にとっての母国・日本
 フィンランドで暮らすようになって、『母国』とか『祖国』という言葉を意識するようになった。フィンランドの人たちはフィンランド国歌の題名のように『我等の地』を愛し大切にしている。
 日本には『他人の不幸は蜜の味』や『長い物には巻かれろ』、『勝てば官軍、負ければ朝敵(「目的のためには手段を択ばす、勝ちさえすれば評価される」)』など、生き延びるための処世術の諺がたくさんある。また、『愛』の反対語は『無視』であるという。ならば、母国・日本は処世術の諺が背景の『無視(大人から子供まで常態化する『いじめ』の究極・『無視』の反対語は『愛』)』と『憎しみ』の常態化した国だと、私たち夫婦は痛感している。それは、国家のリーダー総理大臣からホームレスまで、大人から子供までひとりひとりが、上位にいればその地位を維持するために、下位になればなるほどさらに引きずり落されないために、自分さえ良ければのエゴ(利己心)を余儀なくされる環境で、生き残るために巧妙な心理戦の戦いをしなければならないということだ。
ヒットラーの時代に、彼の進める政策に反対の心を持った少数の良識派はいただろうが、動物の群れが雪崩を打って一方向に疾走しているとき、一匹がそれに逆らうことは不可能なように、周囲の多数派が、その少数派を巻き込んで同じ方向(戦い)に走らせるいった雰囲気と似ていると、私たちは思っている。また、生活保護受給者や補助を受けている人たちに対して『税金泥棒』のように声高な差別発言が多く聞かれること、強者に同調してお先棒を担ぐ人たちの増大は、何と過酷で寒い国かと思わざるを得ない。
そうした認識の母国・日本に対して、フィンランドは『一人の百歩の前進より、百人の一歩の前進を国是とする』という言葉に象徴されるように、『国」としての目指す方向や考え方や国民性が、日本と真逆にあることを思い知らされている。そして、日本人であることに恥ずかしく、悲しくなる。
「あなたのことを友達って思ったことなど一度もない!」というセリフは、最近の日本のテレビドラマでよく聞くセリフだ。そして、町と違って田舎は閉鎖的で『よそ者』は溶け込めないとも言われるが、私たちはフィンランド北部の人口2000人足らずの小さな村で、昔からの住人のように暮らしている。ここには人生の中で最もたくさんの真の友達がいる。いつも見守っていてくれる姉のような人たち、無邪気の子供時代の幼友達のような人、人の良い近所のおばちゃん・おじちゃんのような人たち、そして、道ですれ違ったりスーパーで時折出会う子供たちは、ちょっとはにかんで挨拶してくれる。こんな雰囲気は日本で感じたことがなかった。こうした雰囲気は普遍主義がベースになっているからだ。それは『利他』(『利己』の反対語)の精神が育まれる土壌が社会の中にあるということだ。だから、『世界一幸せな国』と言われる。

共感
確かに『世界一幸せな国』で暮らしているという実感は日々あるのだが、時々どうしようもない『悲しみ』におそわれることがある。それは、『日本』に生まれた『日本人』であるという看板を心も身体も背負っていることだ。
言葉の不自由さを除けば、この国のほとんどの人たちは何の偏見も差別もなく同じ地に暮らす仲間として扱ってはくれるが、一緒にフィンランドを作ってきたフィンランド国民ではない私たちは、やはり日本人なのだ。日本のニュースがフィンランドや北欧を取り上げることは少ないが、日本人が想像している以上に日本のこと・中国のこと・韓国・北朝鮮のことはよくニュースで取り上げられている。日本を含め東アジアのニュースは誇れることが少ない。祖国・母国を大切にしている、そして客観的にみても誇りにできるフィンランドの国民性の中では、私たちは異邦人であり母国や地域(東アジア)を恥じ入る少数派なのだ。(特に北欧諸国は仲が良く、国と国の思いやりには感動の涙がこぼれてしまうほどだ。)

ちょっと一息
以下の音楽”You’ll never walk alone!”を少数の良識派に贈ります。最初に見て以来、この動画は歌詞の意味もわからないのに、なぜか涙が溢れてくる。
画像の中で、青いアイシャドウ―と青いマニキュアのおばちゃん、髪の毛の少なくなった初老のメガネの人、黒縁メガネの中年の男性などなど、彼らの涙は、Andre Rieuの音楽を通して、「大変な人生をごくろうさんでしたね。でも、もう一人で歩かなくてもいいんですよ。あなたの人生に共感する私たちがいますよ。」と、きっと私と同様に『魂の友』からのメッセージが聞こえているのかもしれませんね。

前述のヒットラーの時代にこれは狂気の沙汰だと知っていても逃げ出すこともできず大衆に流されざるを得なかった少数の良識派のような人たち=『生きるためには仕方ない=お金のためには仕方ない』の我慢と『こんなために生まれてきたわけじゃない! これは人間のすることじゃない』と自分で自分を好きでいられる人生を作りたいという欲求の狭間の中でもがいている少数の良識派の人たちに書いています。
それぞれに起こる出来事や状況、苦悩や忍耐のすべて自分自身が受け止めて、ひとりで人生が終わる時まで歩くしかないのが人生の物語=運命のシナリオだと、私は思っています。
しかし、ポナペでは『魂の約束の友』という存在が誰にもいるという言い伝えがあります。(これは私が実際に体験したことです。いつか機会があれば書きます。)人は生まれる前に出合うことを約束した『魂の友達』が誰にもいて、それぞれの人生の目的をやり遂げられるように重大なメッセージや人生の岐路のサインを手渡す役目を担っている『魂の友』のことです。私の場合彼の存在を実感したときから、どん底の人生の期間の最後の最後に人生を捨てさせなかったのは、『約束の友』がいるという根拠のない実感だったのかもしれません。
どん底の苦難の時期が過ぎて、また人生が流れ始めたときには、彼のことは思い出すこともなくなりましたが、最近この動画が出会ってあの『魂の約束の友』のことを思い出しました。そして、周りを見回したら、私たち夫婦は前世の友や兄弟に囲まれて暮らしていることに気づきました。
母国・日本は百年たっても、千年たっても、フィンランドのような『利他の国』・『幸せな国』になることは決してないと、私は確信しています。しかし、このような日本の国は、日本人として生まれた私たちの人生ドラマにきっと必要な舞台(国)なのだと、思うようになりました。最終章まできてわかった私の人生ドラマのドラマチックな物語は、日本に生まれたから味わえたのであり、この人生ドラマに納得しもしているですから、必要な舞台設定だったのでしょうね。
だから、日本の少数の良識派の人たち=共感し合えるドラマチックな人生を歩んでいる人に伝えたいのです。
「日本の暮らしにお疲れ様。あなたの人生を察します。そして、あなたの人生ドラマに敬意を表します。
自分で自分を誇らしく思えるような生き方選んで大丈夫ですよ。勇気を出して、思ったように進んで大丈夫ですよ。
フィンランドにそうした生き方に共感している人がいますよ。私たちは一足先に辿り着きました。
あなたは一人じゃないですよ。(You’never walk alone!bsdf )」と。

今朝はこの冬5回目の除雪に汗を流しました。今日はマイナス5度ですが、明日の最低気温はマイナス18度とのこと。今年は酷寒の冬が早く来そうですが、暖炉の薪のオレンジ色の炎と温かさは過酷な気候の地で暮らしていることを忘れさせてくれます。『暖かさ』は『幸せ』と同義語だと思います。
では、また・・・