世代から世代へ循環の中でみんな何かを学んで育ってきた

今日のフィンランド2016.11.28
快晴・最低気温-15度/最高気温-3度・積雪15cm・日の出/9:53日没/14:20
昨晩は久々の快晴、月が出ていないので空を埋めつくすたくさんの星が見えて、いつもある当たり前の夜空なのに、しばらく見とれてしまった。南東の低い空にオリオン座を見つけた。七年前のちょうど今頃は、日本で北東の空に見えるこのオリオン座を見ていたことを思い出す。日本の反対側で暮らしていることを実感する。日本の誰かがこの星を見つめていたら、同じ星を反対側の者同士が一緒に見ているかもしれないと想像したら”We are not alone!”、温かい気持ちになる。天気予報では今夜から雪、明日は妻と除雪。今年は冬が早く、雪も多そうだ。

Ii Kuivaniemi ―ここで私たちは暮らす
Kuivaniemiは人口2000人足らず小さな村だ。北極圏まで100キロ余りのフィンランド北部に位置する。南部のヘルシンキと比べると気温は4~6度ほど低い。フィンランドはほぼ日本と同じ面積だが人口は約五百万人、日本の二十分の一、しかも地方の村だから人口密度は2人/㎢。
私たちの家は、お隣が50メートル先に一軒、次のお隣は1.5キロメートル先に一軒と、白樺や松などの森に囲まれている。2ヘクタールの敷地は冬の暖をとる薪をまかない、夏は一年中食べるベリー(15キロ以上)を収穫させてくれる。

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我が家の庭でくつろぐトナカイ

しばしば、リスやウサギやキツネなどの森の動物とニアミス、数十頭のトナカイは「私たちの土地でもあるのよ」と言わんばかりに庭の芝生の草を食べに来て、しばらくくつろいでいく。そんな時は、私たちは彼らが去るまで外の用事を中断して、邪魔しないように静かに家のなから見ている。たくさんの鳥もやって来る。フィンランドは野鳥用のエサがどこでも売られていて、家々でエサを吊るしておく。我が家もペットのエサを与えるように、屋根付き餌場を備え付けてそこにエサを毎日補充する。日本から連れてきた犬が昨年死んでしまった時、妻が「鳥になって戻っておいで・・・」と亡骸に話しかけて埋葬したせいか、エサがなくなると窓辺にとまってエサがなくなったことを知らせる。
 フィンランドでは人々も動物たちも仲良しだ。村の中心への道は、やたらトナカイの群れと遭遇する。車が来たからといってあわわてて逃げ去るのではなく、しばらく見つめ合って、それからゆっくり道を横断して森の中に入っていく。その間車は止まって待っているのが当たり前の光景だ。スーパに着くと、見知らぬ人も目があえば”Hei!”とか”Terve!”(Hello!の意)と声を交わす。こうした環境が、気持ち良い子供たちを育てている。そして彼らが優しい大人になる。この雰囲気はフィンランドの原初の風景(環境)、私たちが探し続けた世界だ・・・〈この話はまた後日に続けることにする〉

2日後に妻の歯の治療日を控えた今日、歯科医師からメールが届いて、通訳を手配しので来月15日に治療は延期すると連絡があった。フィンランドでは誰もが母国語で診察・治療を受ける権利があり、この村では外人は私たちだけ、当然その恩恵を受けているのも私たちだけ、この地に住まわせてもらっているだけで十分すぎる幸せを感じているのに、ただただ恐縮する。
年金受給者協会Kuivaniemi Eläkeliittöの会長さんからもメールがあって、行事を知らせてきてくれた。「たぶん、私たちの方言交じりの早口のフィンランド語をほとんど理解できていないだろうに、参加してくれていることを嬉しく思っているというなことも書かれていた。寒い冬が始まっているのに、暖炉の暖かさに人の暖かさが加わって、とても心地よい。



世代から世代へ循環の中でみんな何かを学んで育ってきた
『文化』とは、
一つの物語を演じている人間の集まりだという。それは聞く必要もなければ、わざわざ口に出して子供たちに教える必要もない。いつでもどこでも背景に流れているハミングやBGMみたいなものだから、あえて注意を払わなくても自然に基本的なことは6~7歳のころまでは取得してしまう母国語のようなものだ。
フィンランドでは、子供たちは国の財産のように平等に扱われている。子供の6割は普通高校へ進学する(その半数程度が4年制大学へ、残りの半数は職業訓練を行うポリテクニックへ進学する)。3割の子供たちは職業訓練校に進学する。残り1割の子供たちは、今もしっかり残っている徒弟制度に吸収されて手に職をつける。こうした教育に対する費用は一切無料、また学生のための安いアパートや生活費などが毎月支給されているので、大ざっぱに言えば、親は子供を育て教育する費用の負担はほとんどない。
フィンランドの子供たちは自分の能力に応じて職業を選ぶのではなく、自分のしたい仕事のために技術を磨く風土である。また、職業による収入格差は累進課税の制度や低所得者に対する国の補助施策により、格差はことのほか少ない。だから、どんな職業であろうが、どんなところに、どのような家に暮らそうが、それは人それぞれの好みの違いとして、差別や上から目線というような風土(文化)はない、独立100年の若い国だが、世代から世代へと同じ地に暮らす仲間意識や皆で幸福な国を作ろという同胞意識は、世代から世代へと受け継がれ(=フィンランド文化)、あらゆる社会システムがすべての人に優しい平等な国となった・・・
今70歳過ぎの多くの人たちは――独立間もない国の上に第二次大戦の敗戦国として厳しい経済の時代は、スウェーデン出稼ぎに行かなければならなかったそうだ。彼らの世代が前述の年金受給者協会Kuivaniemi Eläkeliittöの主要なメンバーで、彼らの苦労は、彼らの奥の深い優しさと人間的に尊敬できる人格をつくった。それは、私たち外国人ですら『見守られている」という安心感を感じさせてくれる。彼らの子供世代の人たちもたくさん知っているがステキな人たちだ。そして子供たちも・・・と、文化や教育は世代から世代へと受け継がれる。
日本ではユースホステルを経営していたのでいろいろな世代を見てきた。総称して、日本の子供たちは可愛くない!(まれに子供らしい気持ちの良い子にも出会うが)。若い子たちは怖さを感じる。働き盛りの大人たちは社畜という言葉に象徴される雰囲気を・・・そして、私たち老年組は、金や地位の力を盾に現役にしがみついているか、面倒を見てもらうために子供に媚びているか、どちらにしても哀れな存在という印象を私は持ってしまう。私たちの国の文化は確実に世代から世代へと受け渡されている。こうした風土をすべての世代が容認してしまう・容認せざるを得ない文化であるとも思わざるを得ない。
最近大河ドラマの『真田丸』を見続けているが、真田幸村は魅力的な人物だが、命がけで尊敬できる人物とは言い難い秀吉や豊臣家に忠義を尽くし、300年の徳川時代を作った創始者の家康のような姑息な駆け引きの信頼できない人が支配者になる、近年では『お国のため』にすべてが従った風潮で、いつも犠牲になるのは一般庶民、ところが一致団結しなければならない犠牲者の一般庶民たちは『生きんが為に』抜け駆けと裏切り、これが母国語・日本語のように知らぬまに『国とはこんなもの、だからうまくやらなければ~』と意識のベースに刷り込まれてしまったことは、歴史も物語っている。
若い頃、『かもめのジョナサン』の作者リチャード・バックの『one』という本に、とてもひどい町があって、人々が出て行ってしまって廃墟の町になった。廃墟になった後にまた人々が戻ってきて今までとは違う新しい幸せな町を作った・・・という話があったような気がする。母国を本当に大切だと思うから、文化に染まりすぎて洗脳される前に、意欲が萎えてしまう前に、子供たちや若い人たちにはフィンランドのような別の世界を体験させてやりたいと思う。そして、それを応援できるのは現役を引退した私たちが世代が、悪循環を断ち、それぞれが小さな力でよいから未来のために供出することかもしれない・・・と思うのである。


国が荒れているウクライナのタレントが歌った”What a wondeful world”
♪木々は緑に、赤いバラは私やあなたのために花を咲かせ・・・空は青く、雪は白く、何と素晴らしい世界でしょう
♪空にはとてもきれいな虹がかかり、人々は通り過ぎながら、「はじめまして」と言ったり、友達が握手しているのも見かけます。
♪彼らは心から「愛している」と言い、私たちは赤ん坊の泣き声を聞いたり、成長していくのを見ています。
♪彼らは私たちよりもはるかに多くの学び、知っていくでしょう。そして私は心の中で思っています。「何と素晴らしい世界」、
♪そう、私は心の中で願っています。「何と素晴らしい世界」でしょう・・・
Kei